テキトー母の生活記録

2013年に結婚しました。2014年産まれの娘と2016年産まれの息子の母です。核家族ワーママとして奮闘中。

結婚から5年。ようやく体調不良の時に妻の私が休めるようになるまでの話をしよう。

さてさて。

 

1か月前の話ですが、8月は私自身が高熱になったり腰痛がひどくなったりとてんやわんやでした。子供たちも、息子は発熱とずーっと咳・鼻水が続いたり、元気だった娘も後半で発熱してしまったりと一家で順番に体調を崩していました。

 

 

そんな中でしたが、最近はようやく私が体調を崩したときにある程度まとめて休めるようになってきました。

 

 

 

こんな嫌味も言ったりしますが、結婚から5年かけてようやく私が体調を崩している時に、夫がちゃんと家事育児をするようになりました。

 

なお「してくれる」とは言いません。自分の子供だし生活なんだから、やって当たり前の話なんです、本来は。

 

しかし、ちゃんと自己判断できるようになるまで本当に長い道のりでした。

 

 

うちの夫について

うちの夫は団塊ジュニアと氷河期世代の間くらいの年代です。

そのため、共働き家庭が増えてるけど、まだまだ専業主婦による女性の家事育児が当然という刷り込みが抜けきれてない、そんな微妙な年代です。

 

そのため、私も何度も何度もブチ切れて家事や育児を求めて来ました。

twitterではあるあるな話ですが「何をすれば良いか分からない」とか「まだ慣れてない」なんてセリフは今でもまだ出てきます。

そんな人だと言う前提で本稿を読んでみてください。

 

 

妊娠中のこと

夫は子供好きなので、とても子供を待ち望んでいました。幸いにも結婚して半年ほどで妊娠が判明してとても喜んでいました。まずまず気にしいな性格でもあるので、私の荷物持ちなどは率先してしてくれていました。

 

私の悪阻状況は比較的マシな方で、空腹時に少し気分の悪さを感じるのと、いつでもどこでも睡魔が襲ってくると言ったものでした。

 

この時期ですが、本当に眠くて眠くて仕方無かったです。

 

しかし、夫はまだまだ妊娠というものを理解しておらず、私が昼寝をしていて1時間を過ぎると「さすがに寝すぎじゃない?」などと言って無理やり起こすこともありました。

この時期、私は仕事もフルタイムだったしコンテンツリリースの佳境で、日々22時を過ぎることも多々ありました。

 

そのような状況でしたが、私の昼寝が許せなかったみたいです。私もまだ夫との生活に慣れてないし、その時期は自己主張もあまり出来なかったので重い体を頑張って起こして家事などしていました。

 

今思えば、あきれているというよりは、私(=主婦)が休んでいる状態が許せなかったんだと思われます。ここは後述しますが、何度も「共働きで私も家計貢献は半分しているおまえももっと家事をしろ」と言う点を主張し続けてようやく女性=主婦=家事主担当という刷り込みは薄れてきたように感じます。

 

産後初めての体調不良はテンプレ満載だった

長女を出産後6か月くらいだったでしょうか。産後ほぼ初めて私が発熱しました。夫がいたので土日どちらかだったのだと思いますが、ふらふらする体を押して家事育児をしていましたが、さすがに限界が来てしまいました。

 

夫にはその日の朝から体調が悪いということを伝えていたし、どうしても体を休めたかったので「(寝室で)ちょっと休ませて」と言ってリビングの夫に娘をお願いして布団に入りました。

 

それから10~15分経ったころでしょうか。夫が寝室に娘を連れてきました。

 

私「ちょっと休ませてって言ったよね?」

夫「ちょっとって言ったから連れてきた」

 

そう言って娘を寝室に連れてきて放置して、自分はリビングに戻ってしまいました。今ならその場でキレることもできますが、当時の私の頭には「????」のオンパレードでした。

 

体調が悪く発熱している人のところに、よりにもよって赤ちゃんを連れてくる気持ちも理解できないし、休ませてほしいときの「ちょっと」の感覚がまさか15分程度ということにも驚きを隠せませんでした。

 

反論する元気も無くしょうがないので添い乳しながら娘と一緒に寝ていたわけですが、2時間ほど経ってリビングに戻ると「ご飯は?」と言われてしまいました。

 

本当にあきれる話しですが、私が起きるまで昼食を摂っていなかったようでした。

お腹がすいたなら、40歳にもなる自分で準備したらよかったのにね。

 

この時のことはいまだに忘れられません。

 

 

 

第二子妊娠前に私が本気で怒った

もともと結婚するときに子供は二人は欲しいよねという話はしていました。

 

娘が1歳を過ぎてそろそろ二人目を考えていましたが、夫はなかなか家事育児を自分事としてとらえていない様子で、私は二人目について何度も話を濁していました。

 

きっかけは忘れてしまいましたが私が「今の状況じゃ二人目は難しい」とうことを言いました。そこで夫はものすごいドヤ顔で「もっと頑張ろうよ、俺も手伝うし」と言ってきました。

 

その瞬間、貯まっていたさまざまなものが爆発してしまいました。

 

  • 子供は二人の子供であること
  • 私は既に実現したいキャリアも犠牲にして時短していること
  • だけど月額負担金額には差がほとんどないこと
  • それを踏まえて手伝う程度のことしかしないなら絶対に二人目は産まない

 

と言った要旨のことをまくし立てました。

 

きっと夫は「俺も手伝う」というセリフは何も考えずに発したのだと思いますが、ものすごいハッとした表情に変わったことを覚えています。

 

きっとそれまでも「手伝う」という認識しかなかったので、家事育児に対して私と意識のズレがあったのだと思います。この時には確かにと思ったらしく考え方を改めてくれました。

 

 

それでもなかなか休めない私

その後も本件とは直接関係のない小さないさかいなども挟みつつ、少しずつ夫は「お手伝い」から「共働」していけるようになっていきました。

それでも、母乳育児ということを差し引いても私が休める時間は少なかったです。

 

何かというと「慣れてないから」「お母さんの方がいいって」と繰り返す夫。

 

私は二人目出産後からは目に見えて体調を崩しやすくなったのですが、そのたびに夫には何度も同じことを繰り返しました。

  • 私が休めなければ夫の負担も上がった状態が長引くこと
  • 熱があれば私も苦しいこと
  • 食事については考える元気もないので考えてほしいこと
  • 体調不良時に子供二人の面倒を見るのは難しいこと

 

最初のころは正直モラハラと言ってもおかしくない態度でしたが、何度も同じことを言い、「私だって母親である前に人間だ」ということを繰り返しました。

 

そのたびに何か気づくというか思うところがあったらしく、徐々に夫だけで子供の世話をする時間が延びていきました。

 

娘一人の時期には私が体調を崩しても知らん顔して残業・休日出勤していましたが、私が連絡を入れると徐々に早く帰ってくるようになりました。

 

 

ついに夫が自分から動くように

そしてついに先日、2018年8月の私の体調不良月間には奇跡のようなことが起きました。

 

夫は繁忙期にもかかわらず、自主的に早めに帰宅してきたのです!

本当に驚きました。しかも、冷蔵庫に使っていない肉のパックがあるのを見て「これを炒めていい?」と言うではありませんか。

 

苦節5年、ようやく夫が自分から私の体調不良時=ピンチの時に助けようとしてくれたのです。

 

8月の私は初旬に発熱し、その後腰痛⇒再度発熱とかなりポンコツだったのですが、初めて安心して体調を崩して寝ていることができました。

 

 

これがいい話と思いますか?

5年もかかったけど夫が心を入れ替えましためでたしめでたし。

 

果たしてそうでしょうか。

 

私は、結婚してから人間ではなくて「妻」という生き物から「母」という生き物にさせられたのでしょう。そして、ようやく最近一人の人間に戻った気持ちです。

 

熱を出して苦しいときに、体調を回復させるために休息を取る。当たり前のことが5年かかってようやくできるようになりました。

 

その間、夫だってたくさん体調を崩しましたし、何ならわたしよりしょっちゅう寝込みました。私は夫が体調を崩している間には育児も家事も求めたことはありません。夫婦なのに非対称的です。

 

正直言って一緒に幸せになるために結婚したというのに、なんだか私だけが割を食らった気分の5年間でもありました。産後の恨みは一生続くと言いますが、私もきっと一生忘れないです。

 

私の中で夫は苦しいときに助けてくれる人ではなくて、今では言わないと家事育児をやってくれない人という位置づけです。だから時々やってくれると本当に驚くし感謝するのはやってくれない人が珍しくやってるからです。

 

たった5年間のことだろ?と思われるかもしれませんが、私が愛想を尽かすには十分すぎる期間でした。

 

ちなみに最近もそのこと含めて大きな喧嘩をしました。まさに離婚するしないまで含めて。そこから改めていろいろ改善してくれているので正直様子見というステータスです。

 

夫婦とは一筋縄ではいかないものだと思いますので、今後の我が家の話をご期待ください~w